こんにちは!HanFilmです🌸 今回は韓国ドラマ『アンナ(안나)』レビュー後半です!
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音楽
本作において重要な役割を担うのが音楽です。ここでは、特に重要な二曲についてまとめていきます。
きらきら星変奏曲
きらきら星はユミが幼少期に出会った夫人に習った曲であり、この夫人との出会いが後の人格形成に大きな意味を持つことから、多用されています。モーツァルト作曲の『フランスの歌曲「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」による12の変奏曲』。日本では『きらきら星変奏曲』として知られる楽曲です。
きらきら星が挿入された場面を振り返ってみると、
✅入学式で両親と再会した場面
✅ユミが大学に在籍していないことが明らかになった場面
✅館長に書類を届けた場面
✅ピンク色のカシミヤのマフラーを買った場面
✅マンションの部屋を借りた場面
上記の場面でした。
これらの状況の共通点を考えてみると、ポーカーフェイスという言葉が浮かびます。夫人が言っていたその言葉。他人に本心を見せてはならないという言葉です。
✅入学式で両親と再会した場面
→大学に合格した入学生のふりをしている
✅ユミが大学に在籍していないことが明らかになった場面
→大学生のふりをしている
✅館長に書類を届けた場面
→ヒョンジュについて不満がないふりをしている
✅ピンク色のカシミヤのマフラーを買った場面
→高いマフラーを買う余裕があるふりをしている
✅マンションの部屋を借りた場面
→良い部屋に住む余裕があるふりをしている
つまりユミの言動が真実でないときに流れています。馴染みのあるメロディとユミの心情のギャップに、妙に引き込まれる演出です。
エスメラルダ
物語の核とも言える曲「エスメラルダ」は、ユミがバレエのコンクールで披露した演目です。この曲が出てくるのは大きく4つの場面です。
✅バレエの秋のコンクールに出場した場面
✅ヒョンジュを避けて23階まで階段を使う場面
✅アメリカでジフンの車に火をつける場面
✅カナダで暮らしている場面
ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』を基に作られたバレエの演目『エスメラルダ』。複雑な上にさまざまな解釈がある作品ですが、原作は悲劇として広く知られています。悲劇の始まりから終わりまで、重要な場面で流れた曲であり、象徴的な音楽でした。
ハン・ジウォン
彼女の話にはいつもイ・ユミの核心があります。最初から本来の姿ではないユミと出会ったジウォン。
この任務が終わればお前は自由だ
私はその約束が守られる映画を見たことがない
ユミの嘘を知らないジウォンが、何気なく話す些細な言葉一つひとつが、ユミに突き刺さります。
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(引用: パク・イェヨン インスタグラム)
母親
認知症を患う母は、ユミのことがわからなくなっていきます。それは一見すると当然認知症の症状として見えますが、アンナの人生を知ってみると、虚構の存在として生きていくことでユミを失った心情の投影にも思えるのです。
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(引用: ペ・スジ公式インスタグラム)
そしてそんな母の死は、本来のユミを知る最後の人を失ったということであり、ユミが消え、完全にアンナになってしまった瞬間とも言えるでしょう。
コンプレックス
秘書チョ・ユミに対し、親が失望しても罪悪感を抱かないことが自立への第一歩であり、自分には一番の後悔であると語ったアンナ。
アンナ(ユミ)は、大学試験に落ちたことへの罪悪感から嘘をつき、そこから全てが始まります。受け入れ難い事柄であったとしても、自身の本来の姿を受け入れるべきだったという後悔が滲んでいます。
変身
劇中で変化していくアンナですが、いくつかのシーンでそれが顕著に現れています。まず、ヒョンジュの運転代行をするユミの姿と、アンナの運転手をするチョ・ユミの姿。
マレでの時間を振り返ると、ヒョンジュのお嬢様ぶりが存分に発揮され、ユミとは正反対な姿が表現されますが、後半では、そうしてヒョンジュを見ていたはずのアンナ(ユミ)が、ヒョンジュと重なります。
そしてもうひとつ、母親に会うため休みをもらいたいと話すユミの姿と、子供の手術のために休みたいと言う家政婦です。
この2つのシーンでは、甲と乙の関係性が逆転しただけではなく、アンナ(ユミ)の口から出る言葉も横暴だったイ先生とほとんど同じです。
持つ者と持たざる者
劇中の主な登場人物たち。一見するとヒョンジュとジフンは上流階級の人間であり、ユミ、ジウォンらは貧しく映ります。しかし、後半に向かってヒョンジュとジフンの過去が明らかになるにつれ、彼ら全員が持たざる者であるのではないかと思えてきます。
上へ
劇中では上に登るシーンが多用されています。ユミがマレへ出勤する際にキツそうに坂を登る姿。アンナとヒョンジュの住むマンションで、エレベーターを使うヒョンジュと、階段を使うアンナ。まるで2人の人生の対比のように映りました。また、アンナとジフンの登るエスカレーター等々、各話のオープニングシーンにも注目してみると面白いかもしれません。
”私たち”の連帯感
劇中でしきりに出てくる「ライン(コネ)のある・なし」問題。ヒョンジュの持つイェール大出身者による学閥(同窓会)を利用することで、いとも簡単にのし上がったアンナ。そして、統営(トンヨン)出身のジフンのコネも強大なものでした。
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(引用: ペ・スジ公式インスタグラム)
このように韓国では特に、学閥や同郷、そして軍隊等、連帯意識を共有することで成り立つ人的ネットワークが社会的に力を持つことが多く、それを象徴する場面が多く登場します。
感想
長い長い悲劇ではありましたが、演出の一つ一つにこだわりが感じられ、読み解くのが楽しく、ドラマというより映画に近い作り込まれた作品でした!
最後までご覧いただきありがとうございます!次の記事もお楽しみに!
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