こんにちは!HanFilmです🌸
『82年生まれ、キム・ジヨン
(82년생 김지영)』
ネタバレレビュー、前回の続きです😊
前回の記事はこちら↓
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(引用:チョン・ユミ公式インスタグラム)
二回目の憑依 サークルの先輩
ジヨンがまた他人になる時が来ます。デヒョンに片思いしていた彼の大学の同期、そしてジヨンのサークルの先輩、チャ・スンヨンです。
ジヨンをいたわってあげてと言う彼女。憑依とはいえジヨン自身が発する言葉は痛烈な叫びです。
ここまで献身的な夫もなかなかいないと思うのですが、そんなデヒョンさえも、ジヨンを「養ってあげる」という考えを持っていることは、もはや無意識なのでしょう。
デヒョンに言われ精神科に行くジヨン。しかし、長いプロセスと高い診療費にそのまま帰ってしまいます。
のちに、ようやくカウンセラーと対面したジヨンは「ここに来たということが既に大きな一歩なんです」と言われますが、あの時帰ってしまったことはきっと「自分は病気ではない、大丈夫だ」という自己暗示の表れだったのでしょう。
ヘスの職場
トイレに仕掛けられた隠しカメラの存在を彼氏に聞かされる女性社員。もちろん、盗撮魔は犯罪ですが、ここで注目すべきは、通報もせず彼女にだけ教えた男性社員です。
これからトイレに行く時は注意しようと言う女性社員たち。なぜ被害者である彼女たちが気をつけなければいけないのでしょう?これもまたおかしい話ですよね。
高校時代のトラウマ
学生時代、バス停で男子学生に襲われそうになるジヨン。父親は、塾が遠いこと、スカート丈、誰にでも笑いかけることなどが原因だと叱ります。
これは、性的暴行の被害者によくかけられる言葉です。加害者が100%悪いというのに、誘惑したのは女性だ、などと言われる方がいることは、とても悔しいことです。
母の夢
教師という夢を諦め、兄弟を学校に行かせるため、工場で働いていた母ミスク。母親の人生は、子どもにとっては生まれてから死ぬまで「母親」です。
でもそんな彼女にも、母親でなかった時代があり、夢があったという、当然のことを思う機会は、そんなにないですよね。
ワークショップ
デヒョンの会社がセクハラ対策のワークショップを開きます。ワークショップにうんざりし、朝鮮時代に生まれていれば、気楽だったと嘆く同僚。
育児休暇を取ろうかという話が出ますが、取ると昇進が遅れるという現実が待っています。
叔母たちの言葉
育児が大変でも、常に着飾って綺麗でいるべきだという叔母たち。
育児を経験した母親として先輩であることは、そうやって概念を押し付けていい理由にはなりませんね。
新婚時代
子供がいても人生そんなに変わらない、と言うデヒョン。そして口をついて出る育児を「手伝う」という言葉。
女性が母親になるという人生の変化は、無情にも現在の社会では、父親になることとはあまりに違うのです。
育児休暇
父親の育児休暇という制度自体、できて間もない制度ですよね。制度だけが存在しても実現するかは別問題。
ジヨンの電話で、デヒョンが育児休暇を考えていると知る義母。ものすごい剣幕で怒ります。
時代の違いでしょうか。彼らの母親世代は、稼ぐために仕事をした世代。
現代では「夢を追いかける」ことも、昔よりは挑戦しやすい世の中ですが、親の介入によって諦める人も多いのかもしれません。
3度目の憑依 ミスクの母
泣かずにはいられない名シーンです。
「やりたいことをやりなさい」と言い、帰ろうとする母。その背中にかけられる言葉。
娘が兄弟のために、身を粉にして働く姿を見るのはあまりに辛かった。そんな時に支えてやれず申し訳ない、と言うジヨン。
祖母から母への言葉です。その言葉で、今までキム・ジヨンが主人公だった物語が、キム・ミスクの物語にもなります。
その言葉が、母は、娘でもあるという当然の事実を、忘れてしまった私たちに深く刺さります。
父親が、息子にだけ買ってきた漢方薬。母は、息子だけを気遣う父親、家庭内にあまりにも染み付いた男女差別を嘆きます。
あなたのためを思って
義母の反対で就職を諦めるジヨン。皮肉にも、男のデヒョンより稼げないという現実。
「君のためを思って」というデヒョンの言葉。皆が口を揃えてジヨンに言ってきた言葉です。
誰かのためを想う発言は時に、実はその誰かを通した自分を思った言葉でしかないのです。
ジヨンが精神を病んでいるという設定は、どういう意味でしょうか?ジヨンがおかしいわけではなく、世界が平等でないというのに。
最後の、ジヨンが「いつか治ったら働きます」という展開は、ジヨンの精神が安定したら、というよりも、「世界が変わっていったら」という意味ではないかと思います。
万年筆とあんぱん
原作には出てこないこれらのエピソード。
まず、父がジソクにだけ買ってあげた、ジヨンがいつも欲しがっていた万年筆。後半では弟が名前入りの万年筆をプレゼントしていましたよね。
彼女は韓文科を出てから、ずっと文章を書きたいという夢を持っていました。夢の象徴という意味で、名前入りの万年筆は特別でした。
そして、ジヨンはあんぱんを好きだと父から聞いたジソク。でも父親が記憶していたのは、ジソクが好きなパンでした。
いつでも父の関心の中心は弟だったと、弟自身も少なからず感じる場面でした。
カウンセリングで、「幸せも感じつつも、迷路のような日々。」だと語るジヨン。
他の誰かは抜け出せるのに、私だけ迷路に閉じ込められているのは全て自分のせいだと言うジヨンにカウンセラーは、あなたのせいではないとはっきり言います。
全女性がこうして悩んでいるわけではないという事実は、悩んでいる女性からすると苦しいものです。悩んでいる状態が異常だと思わされてしまうのです。
맘충 ママ虫
カフェで会社員たちが、子連れが多くてうるさいとぼやきます。
娘のアヨンが泣いて、コーヒーをこぼしてしまったジヨン。
そこに浴びせられる「ママ虫」という言葉。
そんなことを言う人たちの言葉に耐える筋合いはないと、ジヨンははっきり立ち向かいます。
맘충とは新造語で、子供を叱らない母親や、それによって他人に迷惑をかける母親に対して使われます。
韓国ではこのように差別用語として「~虫」と表現することが多々あります。
例えば、설명충(説明虫)は、映画などを周りの観客と話しながら観る人。
한남충(韓男虫)は、韓国男性を卑下する言葉です。特に後者は、「フェミニスト」と名乗りながら、こういった言葉を使い、男性嫌悪を表わす人がいることも問題視されています。
どんな差別問題においても言えることですが、フェミニズムと男性嫌悪の境界は、はっきり定義できません。そういう意味では、本作に賛否両論あるのも納得できます。
劇中、デヒョンが配慮ある夫像を演じたことは、現実を反映するというよりも、むしろ、同僚のような現実的な男性との対比で、今の時代、そういう男性ばかりではないと伝えているのかもしれません。
春になり、草木が芽吹きます。最初と同じように夕日を見つめるジヨン。
希望のあるラストですが、決してハッピーエンドではないのだと、現実世界が教えてくれます。
最後に
グローバルな問題ですが、 韓国社会の抱える特有の問題が、フェミニズムを可視化する上で、とてもわかりやすかったです。
日本社会にもやはり、内在的な男女差別や嫁姑問題などが存在するので、アジア社会の中で理解できる部分もとても多い作品です。
また、原作は「フェミニズム本」と言われますが、女性の女性に対する視線も的確に表現していて、誰もがどこかで共感できます!
本作は、キム・ジヨン、母、夫、姉、弟、父、同僚、すべての人の物語と言えます。
こうしてレビューを書くことさえ、少し怖くもある。
そんな世界であることが皮肉で、とても広い概念について、様々な角度から見ることでハッとする、そんな作品です。
最後までご覧いただきありがとうございます!
次回もお楽しみに!😁
原作本は違う結末になっていますので、そちらも要チェックです👍🏻👍🏻
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